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『CHESS IN CONCERT』セカンドヴァージョン③俳優紹介・石井一孝

ソビエト連邦のCHESSチェンピョン・アナトリーは一見、冷静沈着に思える。だが、それは本当なのだろうか?旧ソ連を言えば、アメリカと対比される社会主義中心国家。自由や夢などと言う言葉は通用しない。何をするにも国の為。裏を返せば、国の為に活躍できない人間はいらない。それが旧ソ連と言う国家だった。そうした環境下で育ったアナトリーにとって、“自由”と言う言葉は、まさに“憧れ”の象徴だった。その自由を『ワールド・CHESS・チェンピョンシップ』で触れてしまったアナトリーの心の動揺は大きかった。とりわけ対戦相手のフレディは多くの人間に「きちがい」扱いされたが、アナトリーにはフレディの気持ちがよーくわかった。それはなぜなのだろうか?アナトリーの心の動きを読めば、自然とアナトリーと言う人物が見えてくる。石井一孝(以後、敬称略)にとっては、まさに当たり役なのではないだろうか?“世界NO1のアナトリー”目指して頑張ってほしい。

アナトリーを観る場合“本来の個性”と、ソ連と言う特有の社会主義国家内で育ち“強制的に染み込まされた性格”と2つが共存していることに気がつく。かつてABBAが全盛時代、ABBAのレコードが外貨でソ連に買われることは当初はなかった。その為、ソ連のお偉いさんは「小麦××トンとABBAのレコードを交換してくれ」とABBA所属のレコード会社に懇願し、事実“交換”されたと言う逸話がある。今、考えると、ブツブツ交換なんて、都市伝説にも似た現象だが、日本を含め、自由(民主)主義国家が、社会(共産)主義国家と貿易するには、様々な“規制”があった。アナトリーも、その“規制”に虐げられた人物の一人であったと言える。そのアナトリーがなぜ、亡命までに至るのか?フローレンスへの同情や、自由主義国家への憧れと言う表現だけでは収まり切れない理由が、アナトリーにはあった。日本版では出演しないが、『CHESS』(『CHESS IN CONCERT』含める)には、ソ連側、すなわちアナトリーのセコンドに“モロコフ”と言う、KGBのセコンドが居る。このおっかないKGBのモロコフから逃げることは並大抵のことではなかった。なのに、それでもアナトリーを亡命に至らしめたモノは一体何だったのか?家族と別れ、その後、自由主義国家の国民の一人になったアナトリーの心の動きはどうだったのか?アナトリーと言う人物を理解する場合、アナトリーと“同化”することがファーストBESTであろう。

なお、アナトリーが歌う「アンテム」は、もともとはABBA“幻の”9枚目のオリジナル・アルバムに入る予定の曲だったが、お蔵入りとなり、その後『CHESS』で日の目を見ることとなった。もしかしてアグネタかフリーダが歌っていたのかと思うと何とも感慨深い曲だ…。

アナトリーのフルネームは、アナトリー・セルゲイフスキーである。

<アナトリー役…石井一孝>

クイーンの影響で音楽に目覚め、学生時代からミュージシャンを目指して活動。 特に、フレディ・マーキュリーには強い影響を受け、ピアノも独習する。

1991年、東宝ミュージカル『ミス・サイゴン』のオーディションに15,000人を超す応募者の中から見事合格。しかし、実は、友人の勧めで応募してみただけで、本人はミュージカルを見たこともなかったという逸話がある。

その後、1994年、東宝ミュージカル『レ・ミゼラブル』のマリウス役に抜擢され、400回以上マリウスで舞台を務める。舞台映えするルックスと抜群の歌唱力でミュージカル・マニアに知れ渡るところとなる。

2003年の『レ・ミゼラブル』ではキャスト改変の際、事務所の意向でジャベール刑事役でオーディション応募するが、演出のジョン・ケアードから直々に「彼はバルジャンだ!」と決め付けられ、当時の日本レミゼ史上最年少の35歳(役のうえで最後は70歳になる)でジャン・バルジャンを演じることになった。これは2006年の舞台まで続いた。石井本人によると、マリウスからバルジャンになった役者は世界でも3人だけだとされる。

東宝ミュージカル以外にもさまざまなミュージカルに出演しつつ、歌手としても活動を続け、インディーズでアルバムを4枚製作している。ディズニーアニメ『アラジン』の主役の歌の吹き替えが一般的には有名。ライブ活動も活発で、さまざまなミュージシャンとコラボレーションしている。もともとロックやAORが好きだからか音楽活動の幅は、いわゆるミュージカル俳優とは、一味違っている。

作曲家としても楽曲提供をしているが、2006年8月2日に初公演された『花嫁付添い人の秘密』では、音楽劇の音楽監督として初仕事をしており、オリジナル楽曲を7曲提供している。

2006年12月は白井晃や高泉淳子らが毎年公演している舞台『ア・ラ・カルト 役者と音楽家のいるレストラン』にゲスト参加した。この舞台は毎年ゲストを招いていたが、石井自ら志願したという。

現在、2006年7月に放送を開始した音楽番組『Real Music Web TV』(Real Music Web TV)では総合司会を務めていた。また、2007年春ごろからは非常勤メンバーとして新川博を中心に結成されたバンド『FIANCHI』でも活動している。

2010年4月、『マイ・フェア・レディ』のヒギンズ教授、『蜘蛛女のキス』のモリーナ役の演技が認められ、第35回菊田一夫演劇賞・演劇賞を受賞する。

☆舞台☆

レ・ミゼラブル(1994年、1997年-2000年) – マリウス役

カルメン(1999年、2001年) – エスカミリオ役

キャンディード(2001年) – キャンディード役

風と共に去りぬ(2002年-2003年) – アシュレー役

レ・ミゼラブル(2003-2006年) – ジャン・バルジャン役

ミス・サイゴン(2004年) – クリス & ジョン役

マイ・フェア・レディ(2005年、2007年、2009年-2010年) – ヒギンズ教授役

蜘蛛女のキス(2007年、2010年) – モリーナ役

デュエット(2008年) – ヴァーノン役

愛と青春の宝塚(2008年-2009年) – 影山航役

蜘蛛の巣(2009年) – ロード警部役

オペラ・ド・マランドロ(2009年) – タイガー役

三銃士(2011年) – アラミス役

CHESS in Concert(2012年) – アナトリー役

★受賞歴★

第35回菊田一夫演劇賞 演劇賞 – 「蜘蛛女のキス」

続く

*石井一孝プロフィール参照


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