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『CHESS IN CONCERT』セカンドヴァージョン⑥俳優紹介・マテ・カマラス

世界一権威のある『ワールド・CHESS・チェンピョンシップ』。アメリカのCHESSチャンピョンと、ソビエト連邦のCHESSチャンピョンのガチンコ勝負だ。そんな名誉ある大会の審判として、アービターは誇りを持っていた。だが、蓋を開けてみたらどうだ?フレディの奇行による『ワールド・CHESS・チェンピョンシップ』の質の低下。「俺はこんな堕落したCHESS大会の審判をやりにきたんじゃない」。アービターの心は徐々に変貌し、双方のCHESSチャンピョンに愛想をつかす。「そうだ、俺が一番偉いんだ。この『ワールド・CHESS・チェンピョンシップ』は、俺いかんによってはどうにでもなるんだ」。アービターは選手でもないのに『自分こそが唯一の正義』と宣言する。

一見するとこれはアービターの性格も絡ませた、アービターの独走的思考とも思われるが、ここにもABBAのビヨルン、ベニーの“風刺“が顔を見せている。ABBAが活躍していた70年後半~80年前半の世界の音楽の中心はイギリスからアメリカに移管していた。アメリカでヒットした音楽こそ、世界NO1の称号を与えるにふさわしいと言う誤解が世界の標準になりつつあった。当初、ABBAがデビューした1974年は、ABBAはアメリカの評論家から“賞賛”を浴びていた。だが、「SOS」、「ママ・ミア」、そして、「ダンシング・クイーン」が世界中でヒットすると、アメリカの評論家達はABBAに脅威を抱き始めた。「イギリス出身ならともかく、ヨーロッパの田舎のスウェーデン出身の連中が、どうして世界を席巻するのか?絶対に認めない!」。ABBAはアメリカの評論家からこき下ろされ、とうとうアメリカで認知されることはなかった。ABBAはそれでも欧州や豪州、アジア、東側(社会主義諸国)、南米では、凄い人気だった。ABBAのマネージャのスティッグ・アンダーソンは何とかアメリカにABBAを認知させようとしたが、時は1980年。ますますアメリカのワガママは世界中に派遣し、『グラミー賞』や『ロックの殿堂』こそが、世界で最も権威ある賞であり、その賞を受賞した歌手こそが、世界NO1のミュージシャンなんだと無理やり世界に発信し続けた。ABBAはこんな馬鹿らしい戦いに挑む気は毛頭なかった。その為、マネージャのスティッグの意向とは違い、ABBAはABBA独自の路線を歩むようになる。

世の中の出来事は必ずしも真実ではない。ミュージカル『ウィキッド』のセリフにあるように「世界の歴史は本当ではない。人々の記憶に残ったもの。それが歴史となる」。つまりある権威者、あるいは大物によって、世界の基準や歴史を捻じ曲げることは可能なのだ。ビヨルンもベニーも、自分達を“差別”して、排除したアメリカを快く思っていなかった。この悔しさこそ、アービターに投影したとも言える。アービターを観て、観客はどう思うか?それこそが、ビヨルン、ベニーのアービターと言う役柄に与えた“使命”だと言えるだろう。

なお、今回“アービター”を演じるマテ・カマラスは海外版『CHESS』に出演経験がある。

ちなみに「アービター」とは名前ではなく、CHESSの試合を行う際の「審判(員)」のことを言う名称である。

<アービター(審判)役…マテ・カマラス>

マテ・カマラス(ハンガリー語:マーテー・カマラーシュ)は、ハンガリーのミシュコルツ生まれのミュージカルスター。ロック歌手。アーティスト。2006年『エリザベート』ウィーン引っ越し公演でトート役で初来日。以来毎年来日し、東京や大阪でミュージカル・ナンバーや自身の曲を含むコンサート活動を行う。ドイツ語・英語・ハンガリー語・日本語で歌うことができ、ヨーロッパ、日本を中心に活動するアーティスト。

15歳より地元のロックバンドのボーカルとして活躍。

17歳で地元ミシュコルツの高校で演じた”Rene”がミュージカル俳優としての初舞台となる。同高校にて翌年『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャンを演じる。

1995年 『ジーザス・クライスト・スーパースター』のピラトゥス、同年秋にはブダペストにて『CHESS』の「アメリカン」を演じる。

1996年 『フェイム』のニックなど複数の役を演じる。同年秋、ブダペスト国立演劇アカデミー演劇コースに進学。

半年の在学後、1997年にロンドンのElmhurst Musical Schoolへの奨学金を得て渡英する。留学後ウィーンに住居を移し、『ダンス・オブ・ヴァンパイア』のヘルベルト役を務める。

1998年1月~1999年春まで、ブダペストのオペレッタ劇場にて『エリザベート』のA Halal (トート) を演じる。

1998年夏にはウィーンに戻り、Zell am See野外劇場の『Rockin’ Musical show』に参加。

2000年に『CHESS』 、『ウエストサイド物語』のトニーなど多くの役を演じながら、オーストリアの企画バンド『Ohrrausch』ヴォーカルとして、テレビ番組の主題歌となった「Hello Taxi」をレコーディングし、同ディスクで金賞を獲得した。

2003年~2005年12月4日の千秋楽まで、Theater an der Wienにおいて『エリザベート』のトートを務め、ミュージカルスターとしての地位を不動のものとする。同時期にロックバンド『X_Pact』のヴォーカルとして、ウィーンの Metropolにてライブを披露。

2006年にソロ活動へと移行してからは、シンガー・ソング・ライターとしてウィーンおよび故郷のミシュコルツにてライブを行っている。

2009年には、オリジナル曲により構成されたデビューCD、ウィーンMetropolにて行われたコンサートのライブ映像により構成されたソロDVD、自らがデサインに関わったファッションアイテムを発表した。また同年よりドイツ人ピアニスト・マルクス・ローバーとコンビを組み活動中。2人でCDも出している。

2010年〜2011年、しばらくミュージカルの舞台からは離れていたが、『MITSUKO ~愛は国境を越えて~』(日本)、『LULU』(オーストリア・インスブルック)など、久々にミュージカルでの活動を再開している。

2012年、日本の東宝版『エリザベート』への出演が発表された。山口祐一郎、石丸幹二と共に、5、6月東京、7月福岡、8月名古屋、9月大阪と計5ヶ月間トートを演じる。

☆来日公演☆

2006年 12月 『エリザベート来日記念コンサート』(梅田芸術劇場 シアター・ドラマシティ)

2007年 3月〜4月 『ウィーン版 エリザベート』(トート役、梅田芸術劇場 メインホール)

同年5月 『ウィーン版 エリザベート コンサート版』(トート役、新宿コマ劇場)

同年11月 『マテ・カマラス×姿月あさと×武田真治SUPER LIVE』(天王洲銀河劇場、梅田芸術劇場 シアター・ドラマシティ)

同年11月 『World Wide Super Session feat. Máté Kamarás(vo), Kenji Hino(b), Josei(key), Shingo Kujime(g), Jay Stixx(ds)』(モーション・ブルー・ヨコハマ)

2008年 5月 『ウィーン・ミュージカル・コンサート』(梅田芸術劇場 メインホール)

2009年 4月 『Super Live Vol.2 LOVE LEGEND』(梅田芸術劇場 メインホール、新国立劇場中劇場)

2010年 3月 『Frank & Friends / Mitsuko』(ハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギー役、オーチャードホール、梅田芸術劇場 メインホール)

同年3月 『Máté Kamarás Solo Act 〜マテ・カマラス ファンイベント〜 KAMARÁS VS. LOEBER』(梅田芸術劇場 メインホール)

2011年 5月~6月 『MITSUKO』 ~愛は国境を越えて~(ハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギー役(梅田芸術劇場メインホール、中日劇場、青山劇場)

2012年 5月~9月 『エリザベート』トート役(帝国劇場、博多座、中日劇場、梅田芸術劇場メインホール)

同年10月 『ウィーン版ミュージカル エリザベート20周年記念コンサート~日本スペシャルヴァージョン~』(梅田芸術劇場メインホール、東急シアターオーブ)

☆ディスコグラフィ☆

ウィーン版ミュージカル エリザベート 再演版 CD/DVD

ウィーン版ミュージカル ダンス・オブ・ヴァンパイア CD

ウィーンミュージカル俳優 企画CD 『Hello Taxi』

梅田芸術劇場 限定CD 『WIEN MUSICAL CONCERT』

オリジナルCD 『UNRELEASED』

オリジナルDVD『LIVE IN VIENNA』

続く

*マテ・カマラスプロフィール参照


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