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劇団四季 マンマ・ミーア! WATERLOO RADIO

『CHESS IN CONCERT』セカンドヴァージョン㉙なぜ今、『CHESS』か?<後編>

筆者はこの29年間、様々な国で何度も『CHESS』『CHESS IN CONCERT』 を観てきたが、今まで二つとして同じヴァージョンはなかった。ある時はフレディが勝ち、ある時はアナトリーが勝つ。舞台がチロルで終始するものもあれば、バンコクだけのものもあった。また、1960年代のニューヨークを想定したが舞台の内容(なかなかの出来だった)、『CHESS IN CONCERT』の楽屋で俳優が「『CHESS IN CONCERT』の舞台上の俳優」を演じるというものもあった。外国語版の中で断然ファーストBESTであり、一番成功を収めたのは、2002~2003年のストックホルム公演(スウェーデン)だと思う。

『CHESS IN CONCERT』が始まったのは1984年だが、今日まで29年の間“最高の出来”だったのは、2008年5月23日・24日の『ロイヤル・アルバート・ホール』で行われた公演だったであろう。このコンサートは過去の『CHESS IN CONCERT』とは違い、世界中で出現を続けている“ハイブリッド版”と言えば、かなり理解していただけると思う。“マイルドになった”と言った方が適切かもしれない。より「コンサートに近くなった」ような気がする。第二幕で歌われるはずの曲を第一幕の途中に入れたり、その逆に第一幕の曲を第二幕でも使ったり、同じ曲を何度も使ったり、あるいは別の配役に歌わせたり…。ミュージカル『CHESS』のスコア(あらすじ)通りにコンサートを行うのではなく、前述したような工夫により、さらにコンサートに徹した作品になったのではないかと思う。このことは昨年、今年の日本公演にも十分活かされている。

『CHESS』の筋書きがなぜあんなにも複雑になったかは定かではない。ティム・ライスが一人で製作すればもっと簡単に収まったであろうが、ビヨルン&ベニー(ABBA)が加わったことで、彼らは、過去のABBA現役時に味わった経験をフレディやアービターに投じた。まさにビヨルンやベニーの“メディアへの想い”(復讐?)が作り出した化け物がフレディであり、アービターなのだ。ティムはどうかと言えば、自分の想いをアナトリーやフローレンスに投じた。ティムはこういう人物を作ってみたかったのだろう。

私、個人的にはもっとスマートにまとめられた筋書きが好みだが、それでも私はそう答えるだろう。当時の一部の批評家とは逆の見解だが、このストーリーには信憑性があると、私は強く思っている。本物のCHESSの世界に身を置く多くの人から、現実はこのストーリーよりももっと複雑だという話を聞いている。過去50年の“スポーツ・CHESS”と政治の関係を調べてみればわかるように、また、亡くなったボビー・フィッシャーの人生と数奇な言動を少し見ただけでもわかるように。

『MAMMAMIA!』がそうであったように、ティム・ライスもビヨルン、ベニーも、「セリフ」を歌に載せない。これは多くのミュージカルに反するが、セリフとセリフの間に歌があることの方が私はすっきりしているのではないかと思う。日本の音楽評論家と称する人達は1984年以来『CHESS』及び『CHESS IN CONCERT』の歴史を観てきていない。

1984年『CHESS IN CONCERT』初演、1986年ロンドン『CHESS』初演、及び1988年ブロードウェイ『CHESS』初演を観に行った日本人は筆者も含め数名、皆“ABBAファン”だけであり、「評論家」「メディア」に関わる人は一人も来てなかった。しかも筆者も他のABBAファンも当時PCでチケットが簡単に獲れなかった時代の為、チケットや航空券やホテルをゲットするだけも大変な苦労があった。もちろん「自腹」だ。「評論家」や「メディア」ように「スポンサーもいない」。

「日本のエンタメ界は所詮、こんなものだろう」と、以前、『MAMNMAMIA!』の海外プロデューサーに直に言われたことがあった。事実2002年12月『MAMMAMIA!』の日本公演の時もそうであった。1999年4月6日ロンドン初演から観て来たのは筆者他数名のABBAファンだけであり、「評論家」も「メディア」も誰一人来ていなかった。にも関わらず、たくさんの評論家・メディアの好き勝手な解説書が出回った。「お前(筆者)の解説書パクっているよ」とレコード会社の社員や、友人・知人から言われた。もう10年以上前の話だが、唖然とした。

『MAMMAMIA!』の“日本における第一人者”が居るように、『CHESS』も“日本における第一人者”が居ることをそろそろ「メディア」も「評論家」も認めてほしい。『CHESS』は、ロンドン公演で、さらにはブロードウェイ公演で追加された歌やシーンの一部はそのまま保ち、筋書きをわかりやすくするために、所々で話の流れを調整しているのも日本の「評論家」や「メディア」は知らないだろう。

大事なことは日本の観客に『CHESS』『CHESS IN CONCERT』の歴史、事実、真実、ひいては“楽しさ”を伝えることではないだろうか?今まで海外で観て来なかった「メディア」や「評論家」には『CHESS』『CHESS IN COCERT』を想像や、海外の評論家が書いたモノを翻訳したものをそのまま使うと言った遊び半分で、日本の観客に伝えてほしくない。こんなオチャラケナことをしている「メディア」も「評論家」も、日本だけだ。日本の観客は“『CHESSの真実』”を知りたいはずだ。筆者の考えは間違っているだろうか?

『CHESS』の脚本家の誰もが観たはずの、そして満足したはずの公演は、アルバム発売時に全ヨーロッパで行ったコンサート、すなわち『CHESS IN CONCERT』だ。今まで何度も書いてきたが『CHESS』はミュージカル上演の前にコンサートとLPが発売された“世界初の試みのミュージカル”が『CHESS』だった。今後はハリウッドで“映画化”される予定がある。この新しい表現方法の成果を公平に見るために、音楽の要求を最優先とした。だがもちろん、指揮者如何によっては、視覚的要素や劇的要素が強く出るだろう。

しかし、『CHESS』の本質は、1984年当初から変わっていない。時を経た今、この作品は時代物としての性格を強めている。『CHESS』の製作が始まったとき、ビヨルンとベニーの素晴らしい音楽が世界に知られてまだ10年(ABBAの活動期間)しか経っていなかったことを考えると驚かされる。今では、二人の音楽は時を経ても色あせないと、世界中の人が知っている。幸運にもティムは彼らと一緒に『CHESS』を手がけることができたこの作品が、いつの日か、二人が残した輝かしい遺産のうちで、大きな部分を占めるものとなればいいと願っている。

なお、ビヨルン&ベニーは今でも新しいミュージカルを作り続けている。

続く

追伸:「メディア」&「評論家」の方々へ

筆者並びにABBAファンは「メディア」及び「評論家」の方々と“コトを構えよう”と言う気持ちはありません。しかし過去40年間、「メディア」「評論家」の方々が発した、日本におけるABBA、『マンマ・ミーア!』『CHESS』の情報は“かなりの確率”で間違っております。訂正すらありません。なぜでしょうか?

大事なことはABBAファンもさることながら、視聴者、観客、お客様に“正確な情報”を伝えることではないでしょうか?その為に「恥ずかしい」とか「あんな奴に聞くのは馬鹿らしい」と一喝せずに、きちんと『わかる人』に聞いてほしいのです。なぜならば、「メディア」や「評論家」の方々が知らない“真実”や“事実”を多く持っているからです。間違った情報を伝えることは「メディア」「評論家」「主催者」が“お客様を騙している”ことに他ならないと思いますが、いかがでしょうか?その“責任”は取らなくてもいいのでしょうか?

筆者並びにABBAファンは、この30年間「自腹で」海外に『CHESS』を観に行き、『MAMMAMIA!』を観に行き、その観劇を肌で感じてきました。そのエネルギーを“無償”で、「評論家」「劇場」「メディア」に伝えようとしても歓迎しないのは、なぜでしょうか?なぜそこまでして何を保守したいのでしょうか?

筆者は、より多くの人に『CHESS』と言う作品の“本当の”“本物の”素晴らしさを伝えたいだけです。

まあこういうことは、日本のエンタメ界のどこでも少なからず見られる現象だと多くの人から慰めの言葉を頂戴しました。しかし、こんなことばかり続けていては、日本のエンターテインメント業界は発展もしませんし、世界に向けて発信もできません。

特に「評論家の先生」達に申し上げたいのは、なぜ「後進者を育てないのか?」と言うことです。「映画」しかり、「演劇」しかり、「ミュージカル」しかり、「音楽」しかりです。後継者を育てないで、70歳になっても80歳になっても、いつまで執筆を続けるから、その人が死んだら、その文化の歴史も消えてしまうのではないでしょうか?40半ば過ぎの筆者でさえも“若造”と言われるのですから、もっと年齢が上の人はさぞ悔しい思いをしているでしょう。ご自分がわからないことは、例え年齢が若くても『知っている者』に聞くべきだし、頼って来た後輩には“後進者候補”として育て、後を譲るべきではないでしょうか?いつまでもこんなに馬鹿らしいことをしていると、せっかく先輩評論家先生方が得て来た知識も経験も何もかも、その人が亡くなってしまえば“THE END”です。是非、年齢、無名有名に関わらず、日本文化発展の為に「評論家の諸先輩方の教え」を被りたいと思います。なお筆者は評論家ではありません。ジャーナリスト、あるいはウオッチャーとして、ABBA、『CHESS』『MAMMAMIA!』を観てきました。「オフィシャル団体」ですが世界各地、スポンサーは一切付けておりません。「自腹」で取材し、「自腹」でサイトを運営しています。それこそが“ジャーナリズム精神”だと思うからです。

今後は「差別」「区別」なく、ABBAや『CHESS』の素晴らしさを、もっと多くの人達に、協力して、披露できれば幸いです。

是非、明日からは、「評論家」の方も「主催者」も「製作者」も、筆者並びにABBAファンと共に手を繋げて、『CHESS』 の素晴らしさを、日本中の人に伝えることができれば幸いです。若輩者ではございますが、筆者からの切なる願いです。

なぜ今、『CHESS』か?<終わり>


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