もう一つの“ABBAミュージカル”、そしていつもうまくいかない方
ベニー・アンダーソンとビヨルン・ウルヴァースによる楽曲が、新しくも混乱した脚本により再びつなぎ合わされた。
*CHESS
長年、『CHESS』は「素晴らしいスコアを持ちながら、ティム・ライスの問題だらけの脚本によって呪われているミュージカル」と評されてきた。1988年のブロードウェイ初演では、リチャード・ネルソンが脚本を全面的に書き直し、冷戦下でアメリカのCHESS王者がソ連のCHESS王者と対決する物語を再構築。しかし多くの問題は解決されず、わずか数ヶ月で幕を閉じた。
今回、その脚本をダニー・ストロングが再度書き換えた。これが『CHESS』初のブロードウェイ・リバイバルであり、日曜日インペリアル・シアターで開幕した。
ABBAファンは引き続きスコアを高く評価するかもしれない。だが、それ以外の観客にとっては「甘ったるいラブソングが数曲、それに重苦しいアンセムと、重々しいリズムに押し出される行進曲の連続」という印象になってしまう。
第1幕の半ばには、聴覚的疲労が押し寄せる。
ストロングの新たな脚本について言えば、ネルソン版よりさらに混乱を増している。
そもそもネルソン版ですら、物語の核となる三角関係や、米ソが互いを破滅させようとする“CHESS=冷戦”の比喩を整理しきれていなかったのだ。
最大の問題:恋愛ドラマがまったく説得力を持たない
ミュージカルはロマンスによって動くジャンルだ。しかし今回の改訂版で最も深刻な難点は、
アメリカのCHESS王者フレディ(アーロン・トヴェイト)と、ハンガリー系移民である恋人フローレンス(リア・ミッシェル)、そして彼女が惹かれるソ連の天才アナトリー(ニコラス・クリストファー)という三角関係が、まったく共感できない点だ。
ネルソン版でもストロング版でも、アナトリーは「幼少期からチェスの天才になるよう育てられたロボット」のような人物だ。
にもかかわらず、フローレンスは “ただフレディではないから” 彼に惹かれるように描かれる。
フレディは感情的問題を抱え、ネルソン版では“甘やかされたロックスター”のように描かれ、ヨーグルトでメッセージが送られていると疑うほどだった(※)。
ストロング版はこの「ヨーグルト陰謀論」を削除。
代わりにフレディは 双極性障害で、薬を飲んでいないために混乱している と設定された。
トヴェイトは、甘やかされたスターではなく、深刻な精神的苦悩を抱え、助けを求めるべき人物としてフレディを演じている。『ムーラン・ルージュ』でトニー賞を取った彼だが、本作の演技はこれまでで最も優れたものだ。
彼は唯一、観客が同情できるキャラクターとなった。
一方リア・ミッシェルのフローレンスは、最初から最後まで反抗的で怒りっぽく、何に苛立っているのか理由が示されない。現代のミュージカルでは「女性は強く描くべし」というトレンドがあるためだろう。フローレンスは、スター選手になれないことに苛立っているのかもしれない。ミッシェルの演技は、常にスポットライトを奪いにいくような人物像に仕上げている。
その結果、フローレンスがフレディを捨てる行為は「悪い関係からの脱出」ではなく
「助けを必要とする人間を見捨てる」
という風に見えてしまう。なんとも奇妙な恋愛物語だ。
さらにアナトリーにはソ連に妻と子どもがいる。
彼は「政治が決めた結婚だ」と言うが、妻(ハンナ・クルーズ)は真っ向から否定する。どちらを信じるべきか脚本も演技も明確に示していない。
ただ妻の立場から言えば、子どもがいることまでKGBのせいにはできない。
第1幕の終わりには、観客は
「フローレンスは誰を愛しているのか?」
「ハンガリーに強制送還されるのか?シベリア行きなのか?」
――そんなことはどうでもよくなっている。
1988年版でジュディ・クーンが演じたフローレンスは、可憐で脆さを備えており魅力的だった。だが現代のミュージカル界は、女性の脆さを描くことを許さない。
まるでその象徴かのように、衣装デザイナーのトム・ブロエッカーはミッシェルに、オナシスのヨットに乗るマリア・カラスのような白いガウン=カフタンを着せ、第2幕のほとんどで“冷たいディーバ”に見せている。
良いニュース:3人の主演は声が圧倒的に強い(強すぎる時も)
ニコラス・クリストファーは、観客が拍手するまで音を伸ばし続けるタイプだ。
『ラグタイム』のジョシュア・ヘンリーと「最長ロングトーン対決」をしてもいいくらいだ。
“CHESSは冷戦の比喩”というテーマは今回は生きていない
CHESSの試合と冷戦の駆け引きを重ねるというテーマは、今回ほとんど響かない。
さらにストロング版脚本では、ナレーターのアービター(ブライス・ピンカム)がこの比喩を茶化してしまうため、余計に弱い。
ピンカムは優れた俳優だが、今回は『キャバレー』のMCより品がなく、 sleazy(薄汚れた)な印象。
彼のセリフはすべて叫ばれ、冗談もすべて“わざとらしくウインク”される。
そして最悪なことに、彼は
「ロバート・F・ケネディJr.の脳にいる寄生虫」
について言及しなければならない。
冷戦ミュージカルでこのネタが出てくる理由は誰にもわからない。
演出は“コンサート形式”
演出家マイケル・メイヤーは、オーケストラを舞台上に見せる“コンサートスタイル”で作品を構築した(デヴィッド・ロックウェルの美しいセット)。
ロリン・ラタロの振付によるダンスも少し加わる。
第2幕冒頭「ワン・ナイト・イン・バンコク(One Night in Bangkok)」では、ダンサーたちがスーツを脱ぎ捨て下着姿に。
これはこの上なく“派手で安っぽくて最高に楽しい”演出で、今年最悪のブロードウェイミュージカル『Boop』のタイムズスクエアの着ぐるみダンサーたちにも匹敵するレベルだ。
※「ヨーグルトでメッセージが送られていると疑うほどだった」というのは、
1988年ブロードウェイ版『CHESS』で描かれたフレディの“被害妄想の象徴的な場面” を指しています。
✔ 意味(何が起きた場面なのか?)
ネルソン版(1988年のブロードウェイ台本)では、
フレディ・トランパーは精神的に不安定で、情緒的な爆発を起こす人物として描かれていました。
その設定を強調するための描写として、彼は試合中に――
「ソ連側がヨーグルトのカップを使ってアナトリーに秘密のメッセージを送っている!」
と疑い、試合を台無しにして激怒する、というエピソードがあります。
もちろん、
実際にメッセージなど送られていません。
完全な被害妄想で、フレディの不安定さを表す演出でした。
✔ なぜヨーグルト?
これは1980年代のオリジナル上演時に発生した演出上の“奇妙で象徴的な小道具”で、
- ソ連選手が持っているヨーグルト
- それをフレディが「合図だ!暗号だ!」と叫ぶ
- 観客は「いやいや無理があるだろ…」と思う
という、
『CHESS』の混乱した脚本の象徴として今もネタにされる場面のひとつです。
✔ 今回の(2025)リバイバルでは?
2025年のダニー・ストロング版では、この“ヨーグルト陰謀論”は削除されました。
その代わり、
- フレディは双極性障害で、薬を飲んでいない
- そのため精神的に不安定で衝動的に怒る
という、より現実的で現代的な設定に改変されています。
✔ 要約すると
「ヨーグルトでメッセージが送られていると疑う」=
1988年版『CHESS』のフレディが精神的に不安定で、妄想的な怒りを爆発させる象徴的シーン。
‘Chess’ Broadway Review: It’s the Other ABBA Musical, the One That Never Works



