成功した音楽アーティストのすべてがポップカルチャーの象徴的存在にまで到達できるわけではないが、ABBAはまさにその称号にふさわしい存在だろう。スウェーデン出身のこのスーパーグループの楽曲は長年にわたり絶大な人気を誇り、ブロードウェイ作品や2本の映画を生み出し、さらに現在ではツアーを行なっていないにもかかわらず、ファンはメンバーのABBAターによるパフォーマンスを観るために列をなしている。
*写真:ピーター・ビショフ/Getty Images
しかし、ABBAがビルボード・ホット100でトップ10ヒットを4曲持っていたにもかかわらず、そのうち1位を獲得したのはわずか1曲だけであったと知ると、驚く人もいるかもしれない。1976年12月にリリースされた「ダンシング・クイーン」は、1977年4月9日にABBAにとって初にして唯一の全米1位を記録した。
この曲の成功には、制作当時、ABBAがヒット曲を生み出すプレッシャーにさらされていたことも関係しているかもしれない。ヤン・グラドヴァルは著書『Melancholy Undercover: The Book of Abba』の中で、ビヨルン・ウルヴァース、ベニー・アンダーソン、アンニ=フリード・リングスタッド、アグネタ・フォルツコグの4人が、1974年のユーロビジョン優勝曲「恋のウォータールー」以降、“停滞期”を経験していたと記している。また、新曲制作の試みは、たびたびプロモーション活動によって中断されていたという。
1975年8月に録音された「ダンシング・クイーン」は、ABBAにとって初のディスコ路線への挑戦であり、ジョージ・マックレーの「ロック・ユア・ベイビー」や、「1972年のアルバム『Dr. John’s Gumbo』に見られるニューオーリンズのリズム」から影響を受けていると『The Independent』は伝えている。
「レコーディングが終わったとき、ビヨルンとベニーは、自分たちが特別なものを作り上げたと理解していました。その夜遅く、それぞれのパートナーに聴かせるために帰宅したのです」とグラドヴァルは書いている。さらに、フリーダは初めてこの曲を聴いたとき「とても美しくて涙が出た」と語ったという。一方でアグネタは、ビヨルンが帰宅した際にはすでに眠っており、彼は彼女を起こさず、代わりに姉の家へ行き、その曲を何度も繰り返し聴かせたという。
「ダンシング・クイーン」は世界中のチャートで1位を獲得しただけでなく、2015年にはグラミーの殿堂入りも果たした。さらにビルボードはこの曲を「史上2番目に優れたポップソング」と評価している。
「左右に広がるピアノのロールで幕を開け、まるでファラ・フォーセットの髪が肩に流れるかのように音が広がる。そして『ダンシング・クイーン』は、天上のような声のアンサンブルで、世俗的な“天国”をもたらしながら、私たちをやさしくその世界へ導いていく」と、ビルボードのジョー・リンチは評している。
もしABBAが1度しか全米1位を獲得できなかったとしても、その栄冠を手にするにふさわしい楽曲が「ダンシング・クイーン」であったことは間違いない。
https://www.aol.com/articles/abbas-dancing-queen-became-only-051400345.html



