ロンドンでの開幕から3年――新たな会場と革新的なテクノロジーを伴って、ABBA Voyageは今もなお見る価値があるのか? 答えは、もちろん「イエス」だ。
開幕から3年を迎えたABBAの最先端コンサート体験は、衰える兆しを一切見せていない。それどころか、既に来場した観客(筆者自身も含む)に再訪する十分な理由、あるいは言い訳とも言える新たなヒット曲数曲がセットリストに追加された。
ご存じない方は少ないと思うが――「ABBA Voyage」では、ABBAの4人のメンバーがデジタルで再現され、あたかも1974年のユーロビジョン・ソング・コンテストのステージに戻ったかのようなリアルな映像が展開される(「恋のウォータールー」の演奏時には当時の実映像も映し出される)。振付はウェイン・マクレガーによるもので、バンド自身がパフォーマンスを行ないモーションキャプチャーされたため、信じられないほどのリアリティが生まれている。
ロンドン東部にある専用の3,000人収容のアリーナで上演され、もし道に迷ったら、キラキラの衣装の列をたどれば見つかる。100分間(当初の90分から延長)の純粋なポップの陶酔感に包まれる“ABBAの繭”のような体験だ。ショーの楽しみの一部は、観客たちがグリッターのジャンプスーツ、フレアパンツ、きらびやかなアクセサリーで着飾り、演奏が始まる前から“素晴らしい夜”の雰囲気を作っていることだ。
演奏が始まると、意外にもスカンジナビア・ポップではなく、ベニーのフォークアルバム『November 1989』からの幻想的な楽曲「Skallgång」から幕を開ける。『ぼくのエリ 200歳の少女』の舞台版を思わせるような冬の映像が投影され、抑えたトーンでショーが始まる。しかし、“ABBAター”(Abbatars)がステージからゆっくりと現れ、1981年の「ザ・ヴィジターズ」のイントロが響き始めると、観客のアドレナリンは一気に高まる。
筆者が初めてこのショーを観たとき、ステージにもっと近づいてABBAターがどれだけリアルに見えるのかを確認したいと思った。2回目の鑑賞では少し前の列に座っていたにもかかわらず、やはりステージに駆け寄ってこの幻影の仕組みを確かめたい衝動に駆られた。それほど遠くから見ても本物の人間に見えるのだ。
ステージ背後の巨大スクリーンは会場の幅いっぱいに広がっており、アップ映像を随所に映し出す。これは一般のコンサートでもよく見られるが、ここではパフォーマーが仮想存在であるため、アグネタ、フリーダ、ベニー、ビヨルンはまるでビデオゲームのキャラクターのように見える。一部の楽曲(「イーグル」や「ヴーレ・ヴ―」など)ではアバターが登場せず、スタジオジブリ風のアニメーションが流れる。少年が宇宙を旅し、ABBAの英雄たちに出会う…ようなストーリー(たぶん)だ。
楽曲の合間には、メンバーが昔話を語ってくれる(ベニーが浮気を仄めかすような笑い話から、フリーダが祖母に捧げる感動的な話までさまざま)。カーテンコールでは、現在の姿を模したABBAターとして登場し、感動的な別れの挨拶をしてくれる。場所にちなんだ演出として、ビヨルンが『イーストエンダーズ』のテーマをピアノで弾いた後に「SOS」へ繋げる場面もある。
“ライブ感”は、実際にステージで演奏する10人編成の優れた『Hero Band』と、時折ステージ前方に出てくる3人のバックコーラス(カラ=アミ・マクリーナー、クレオパトラ・レイ、カーリーン・グラハム)によって一層高められている。
セットリストに加わった4曲――「きらめきの序曲」「マネー、マネー、マネー」「スーパー・トゥルーパー」「テイク・ア・チャンス」(「ホエン・オール・イズ・セッド・アンド・ダン」は削除)――はどれも歓迎すべき追加曲であり、ABBAのレパートリーの広さを改めて実感させる。上演時間が長くなっても、あっという間に終わってしまう。観客席から放たれるエネルギーは、Abbatarsをさらに長く動かせるほどに感じられる。
演出としての迫力も桁違いだ。ショーの演出はベイリー・ウォルシュ、技術チームのリーダーはフレドリック・ストームビーで、LED照明の演出は本当に革新的。アリーナ全体に光の帯、発光ディスク、レーザーのようなスポットライトが劇的に広がる。「ダンシング・クイーン」(ラスト前の曲)は当然ながらハイライトで、「ザ・ウィナー」へと続く。“なぜ最後を「サンキュー・フォー・ザ・ミュージック」で締めないのか”という疑問は残るが、この曲が最高潮を迎える演出は圧巻だ。
会場を後にする際、筆者は改めてこのショーのパラドックスに気づかされた。これほどデジタル技術に頼ったショーであるにもかかわらず、“実際に現地で体験しなければわからない”ということだ。これは、完璧に調整された音響システムが作り出す、子宮の中にいるような没入感によるものかもしれない。だが、おそらくそれ以上に、“観客の熱気”こそが、決してデジタルでは再現できない唯一無二の要素だからだろう。
この体験には、少し想像力を働かせる必要があるかもしれない。だが、その一歩を踏み出せば、きっと豊かな見返りが待っているはずだ。