抗いがたい魅力を持つこの楽曲は世界的ヒットとなり、ABBA にとって初の全英No.1シングルとなった。
1973年のクリスマス6日前、ABBAの Agnetha Fältskog(アグネタ)、Björn Ulvaeus(ビヨルン)、Benny Andersson(ベニー)、そして Anni-Frid Lyngstad(アンニ=フリード)は、スウェーデン・ストックホルムのメトロノーム・スタジオにいた。
彼らは、翌年4月にイギリス・ブライトンで開催されるEurovision Song Contest のスウェーデン代表曲として、前回よりも良い結果を残せることを期待して新曲を録音していた。
1973年2月、ビョルンとベニー、そして Stig Anderson(スティッグ・アンダーソン)が共作した「リング・リング」は、ユーロビジョンのスウェーデン予選で3位に終わっていた。
しかし、この新たな録音曲がすべてを変えることになる。グループは、ついに“恋のウォータールー”と出会ったのだ。
降伏なし
1974年2月、この新曲は Melodifestivalen で優勝し、4月6日に行なわれるユーロビジョン決勝のスウェーデン代表曲となった。
当初「ハニー・パイ」というタイトルで書かれていたこの曲は、1815年のワーテルローの戦いでナポレオンが降伏したように、ひとりの女性が恋に“降参”しようとしている様子を描いている。
投票では、「恋のウォータールー」はイタリアに6ポイント差をつけて優勝した。また、この年はフランスが不参加だったため、“国の誇り”が傷つくことによる票への影響も避けられた。
ABBAはフィンランドとスイスから最高点を獲得した一方で、イタリアやイギリスを含む5カ国からは有名な“ヌル・ポワン(0点)”を受けている。
ABBAは、それまでのユーロビジョン優勝者とは異なる存在だった。彼らは慣例を破り、母国語ではなく英語で歌ったのである。
それが優勝の助けになった可能性は高く、さらにイギリスのポップ・チャートを席巻する大きな要因にもなった。
「恋のウォータールー」は1974年3月12日にイギリスで発売され、4月20日にチャート入り。そして2週間後の5月4日には1位に上昇し、2週間その座を守った。
イギリスとABBAの“恋物語”は、ここから始まったのである。
真の国際的大ヒット
ABBAがチャートを席巻したのはイギリスだけではなかった。
この曲は、ベルギー、デンマーク、フィンランド、西ドイツ、アイルランド、ノルウェー、南アフリカ、スイスでも1位を獲得した。
さらに、オーストリア、フランス、オランダ、スペインではトップ3入りし、アメリカでも6位を記録した。
一方、意外なことに母国スウェーデンでは、「恋のウォータールー」は1位を獲得できなかった。スウェーデン語版は最高2位、英語版は3位にとどまったのである。
しかし、自国でまったく悪い結果だったわけではない。
ABBAのアルバム『恋のウォータールー』は、当時シングルとアルバムを合算していたスウェーデン・チャートで1位を獲得した。
“本棚の歴史書”には、これでABBAのページが刻まれた。そして、その後さらに数多くのページが加えられていくことになる。



