50年前、ABBAは『アライヴァル』をリリースしました。このアルバムは、彼らを成功したポップグループから、世界的な一大現象へと押し上げた作品として広く評価されています。
スウェーデン出身の4人組は、それまでにも「恋のウォータールー」「SOS」「マンマ・ミーア」などを世界的にヒットさせていましたが、彼らをポップ界のスーパースターへと飛躍させたのが『アライヴァル』でした。
ガラス張りのドーム型キャビンを備えたヘリコプターの中に、メンバー4人が座る印象的なジャケット。その写真は、1970年代後半、数え切れないほど多くのティーンエイジャーの部屋の壁を飾りました。
本作は、ABBAにとって4枚目のアルバムであり、飛躍のきっかけとなった1974年のユーロビジョン・ソング・コンテスト優勝を経て発表されました。当時、ABBAは毎年のようにアルバムをリリースしていました。
アルバムには、「ダンシング・クイーン」「マネー、マネー、マネー」「ノウイング・ミー、ノウイング・ユー」「ザッツ・ミー」など、グループを代表するヒット曲が収録されています。オーストラリア盤には、同国のチャートで14週間にわたり1位を記録した「悲しきフェルナンド」も収められました。この曲は、ほかの地域ではアルバムに収録されていませんでした。
「悲しきフェルナンド」は、もともとアンニ=フリード・リングスタッドが1975年のソロ・アルバムのために、スウェーデン語で録音した楽曲でした。その後、グループ初のベスト・アルバムに収録するため、英語の歌詞で書き直されました。
ABBAの代表曲の一つとなった「ダンシング・クイーン」ですが、当初のタイトルは「ブーガルー」でした。作詞・作曲を手がけたベニー・アンダーソンとビヨルン・ウルヴァースは、ジョージ・マックレーの「ロック・ユア・ベイビー」から着想を得たと語っています。
制作の過程で大きく変化したもう一つの楽曲が、アルバムのオープニングを飾る「ホエン・アイ・キッスト・ザ・ティーチャー」です。この曲は当初、「リオ・デ・ジャネイロ」というタイトルでした。
アルバムの収録曲のうち、いくつかは地域ごとにシングルとして発売されました。「ザッツ・ミー」は日本で、「ダム・ダム・ディドル」はアルゼンチンでシングル化されています。
また、本作では、2つ目の「B」を左右反転させ、鏡像のように配置した、あの特徴的なABBAのロゴが初めて登場しました。このデザインは、その後のABBAのすべてのリリース作品に使用されることになります。
『アライヴァル』の発売後、ABBAは、彼らの歴史に残る1977年のオーストラリア・ツアーに出発しました。ツアーは1977年3月12日、パース・エンターテインメント・センターでの2回の公演をもって幕を閉じました。



