「ビルボードで1位になった時のことを覚えています。オフィスでは一日中シャンパンでお祝いしました」――ABBAの“5人目のメンバー”と呼ばれたゴーレル・ハンザーさんが76歳で死去
*2022年のビヨルン・ウルヴァース、アンニ=フリード・リングスタッド、アグネタ・フォルツコグ、ベニー・アンダーソン。
(写真:ニッキー・J・シムズ/ゲッティイメージズ)
ABBAの公式サイトで、ゴーレル・ハンザ―さんの死去が発表された。
「ゴーレル・ハンザ―とは誰なのか?」と思う人もいるだろう。
しかし、ABBAファンの間では彼女はしばしば「ABBAの5人目のメンバー」と呼ばれていた。
彼女とABBAとの関わりは、グループがまだABBAとして結成される前から始まり、つい最近まで続いていた。
ハンザーさんは1969年、ABBAのマネージャーだったスティッグ・アンダーソンの秘書として採用された。
しかし、その後すぐに頭角を現し、アンダーソンが設立したポーラー・ミュージックの副社長へと昇進した。
ポーラー・ミュージックは、ABBAの作品を世界各国へライセンス供給していた会社である。
彼女はメディア対応を担当し、ABBAの世界ツアーにも同行。やがてメンバーたちにとって信頼できる友人であり相談相手となった。
長年にわたり、ハンザーさんがインタビューに応じることは多くなかった。
その数少ない機会の一つが、2024年にBBCが行なったABBAのユーロビジョン優勝50周年記念の取材だった。
彼女は優勝当日の夜、ストックホルムにいたことを振り返った。
「私たちはすべてを動かすためのボタンを押さなければなりませんでした。数日後、彼らはオフィスに戻ってきましたが、いつもと同じような雰囲気でした」。
「もちろん、ブライトンでの優勝にみんな大喜びしていました。でも同時に『さあ、これからが仕事だ』という感じだったんです」。
「この成功を最大限に活用しよう。みんなが私たちの列車に飛び乗れるようにしよう。そんな思いでした」。
「ダンシング・クイーン」が一番好き
BBCからお気に入りのABBAソングを尋ねられると、彼女は即座にこう答えた。
「『ダンシング・クイーン』です」。
そして、その曲にまつわる忘れられない思い出を語った。
「初めて聴いた時のことは正確には覚えていません」。
「でも、この曲がビルボード・チャート入りして、ついに1位になった時のことは覚えています」。
「あの日はオフィスで一日中シャンパンを飲んでお祝いしたんです」。
ABBAの遺産を守り続けた女性
1980年代後半にABBAがスティッグ・アンダーソンとの関係を解消した後は、ハンザーさんが事実上ABBAの活動遺産(レガシー)を管理する役割を担った。
ABBAのメンバーたちも彼女の忠誠心と長年の貢献に深く感謝していた。
1999年、彼女の50歳の誕生日には、ABBAの4人が非公式に再集結し、スウェーデン語で「ハッピー・バースデー」を歌って祝福したという。
10億ドル再結成オファーも担当
また、当時話題となった総額10億ドル(約1,500億円超)とも言われるABBA再結成オファーの窓口を務めたのもハンザーさんだった。
彼女は当時をこう振り返っている。
「信じがたい話ですが、彼らはその話し合いをしました」。
「でも、誰かが説得して実現できるようなものではなかったんです」。
「彼らはもうツアーをしたいとは思っていませんでした。だからお金の問題ではありませんでした」。
さらにこう続けた。
「ABBAにとって、お金が原動力だったことは一度もありません」。
「彼らの原動力は、良い曲を書くこと」。
「そして、その曲を良い作品として世に送り出し、素晴らしいパフォーマンスを届けることだったのです」。



